2025年度高校生の課題図書となっています。
ユーモアのわかる先生には是非丸写しして提出してみてください。選考に選ばれたら自己責任でお願いしますw
目次
本の概要
『コーダのぼくが見る世界』――音のない世界で育った「聞こえる子」のお話
この本は、ちょっと変わった立場で育った一人の青年のお話です。
五十嵐大(いがらし・だい)さんは、耳の聞こえないお父さんとお母さんのもとに生まれ、自分の耳は聞こえる子ども――「コーダ(CODA)」として育ちました。
ふつうの家庭と少しちがうのは、声ではなく“手話”で会話すること。
でも実は、五十嵐さんは小さいころ、手話をちゃんと教わったわけではなかったそうです。お父さんやお母さんの動きを見て、自分なりにマネして覚えていったとのこと。その中で、病院や学校では親の通訳役もしていたというのだから、すごい経験です。
この本では、五十嵐さんが見てきた「音のない世界」のこと、そして家族や友人、社会との関わりのなかで感じたことが、ていねいに語られています。
大げさな表現ではなく、日常の小さな出来事や気づきが中心だからこそ、読む人の心にやさしく届いてきます。
テレビは音ではなく字幕で楽しむこと、家の中では振動や視覚で呼びかけること――こうした暮らしの工夫を通して、「ふつう」って人によってちがうんだな、という気づきを与えてくれます。
違いを「かわいそう」と思うのではなく、「そういう生き方もあるんだ」と自然に受け止められるようになる一冊です。
楽天 :「コーダ」のぼくが見る世界
アマゾン:「コーダ」のぼくが見る世界
感想文の例
コーダの彼女は、目を見て笑う
〇年〇組 〇〇〇〇
私は、今のところ彼女はいません。焦っているわけではありませんが、時々「あの子、俺のこと好きなんじゃないか」と思い込んでしまう友人たちを見ていると、恋愛というのはなかなか大変そうだなと感じます。そんなことを考えていたとき、『「コーダ」のぼくが見る世界』という本を読みました。
そして、「あの勘違いにも理由があるのかもしれない」と思うようになったのです。
著者の五十嵐大さんはコーダです。コーダとは、耳の聞こえない親のもとに生まれた、耳の聞こえる子供のことです。私はこの本で初めてその言葉を知りました。耳の聞こえない親との暮らしはどんなものなのかを想像しながら読んでいくと、内容は単なる感動ではなく、実際の生活に根ざしたリアルな記録でした。
特に印象に残ったのは、コーダの人たちはとても表情豊かで、相づちや、リアクションが自然に多くなるという点です。手話では顔の表情や口の動きも言葉の一部になるため、人の話をしっかり聞いて目を見てうなずくことが日常の習慣になるそうです。そのため、異性から「自分に気があるのでは」と誤解されてしまうことがあるという話には、思わず笑ってしまいました。
そして私は、ある場面を想像してしまいました。目の前に女の子がいて、私の目をまっすぐ見ながら、うなずいたり笑ったりしてくれる。私の言葉を一つも逃さないようにするその姿勢に、ドキドキしてしまいます。このことを友人に話せば、きっと「それは絶対気があるって!早く告っちゃえよ!」と言われるに決まっています。
そうなると、私は一世一代のイベントとして、校舎裏に呼び出す王道ルートを進んでしまうでしょう。しかし、もしその子がコーダだったら…。私の勘違いの確率は高く、ほぼ確実に玉砕されるかもしれません。
「私はまだあなたのことをよく知らないから、ごめんね。でもありがとう」
きっとそう言われて終わるのです。恐ろしいことです、コーダのポテンシャルというものは。そもそもですが、あんな可愛い子が私のことに興味を持って、なおかつ好意まで寄せてくれることなどあるはずがないのに。私はとんだ勘違い男というものなのです。いや、待て、その子は一体誰だ?
それでも、私は思ってしまいました。「手話、ちょっと覚えてみようかな」と。きっかけがどんなに不純でも、誰かの世界に興味を持つこと自体は悪くないと思います。言葉にしないと伝わらないことがあるように、伝えようとする努力が人を変えることもあるのだと感じました。
五十嵐さんが「手話歌」に違和感を持っていたという話も印象に残りました。耳の聞こえない人に向けて、音楽に合わせて何かを伝えるということに違和感があるというのです。私は音楽が好きで、毎日イヤホンで音楽を聴いています。時には歌に酔いしれて自分も熱唱してしまい、道行く人に見て見ぬふりをされることもあるのです。けれど、それが存在しない世界を生きる人もいると知って、自分の見方が少し変わった気がしました。
また、五十嵐さんが子供のころから、親の「通訳」として病院や学校などで対応していた話には驚きました。もし私だったら、親の代わりに話すなんて責任が重すぎて耐えられなかったと思います。それでも五十嵐さんは、それを普通のこととして受け止めていたのです。人は環境によって、自分の役割を身につけていくのだと感じました。
「コーダ」という言葉を知ったとき、五十嵐さんは少し楽になれたと語っていました。自分と似た立場の人がいると知るだけで、人は救われるのだと思います。名前のない立場から、名前のある存在になることは、安心につながるのかもしれません。
私はコーダではありませんし、親も耳が聞こえます。でもこの本を読んで、「誰かの普通は、自分にとっての非常識かもしれない」ということを知りました。目を見て話す人もいれば、目をそらして聞く人もいる。言葉で伝える人もいれば、沈黙で伝える人もいます。そんな違いが、誤解やすれ違いの原因になるのかもしれません。
大切なのは、相手は自分と違う世界で生きてきたかもしれないと考えることです。その気持ちさえあれば、人との距離がほんの少しやわらかくなるような気がします。
これから私は、相手の顔を見て話すことを少し意識してみようと思います。でも、もし見つめすぎて誤解されたときは、「手話に興味があるだけなんです」と、こっそり言い訳しようと思います。そしていつか、本当に手話で会話できる日が来たらいいなと、少しだけ感じました。
タイトル案
・コーダの彼女は誤解上手
・目を見て話す理由
・うなずきと恋の境界線
・聞こえる世界、見えない距離
・手話に恋した理由
・その笑顔、勘違い注意
・君はなぜそんなに笑う
・好きに見える、その理由
・目と目で通じすぎた話
・ぼくの告白は空振りか
・リアクションの罠
・コーダとすれ違う気持ち
・誤解で始まる物語
・言葉にならない気配
・勘違い、そして手話
Youtube
終わりに
【どこに注目すればいい?】
① コーダという立場そのもの
- 「コーダ(耳の聞こえない親を持つ、聞こえる子ども)」という言葉を初めて知った人も多いはず。
- どんな経験をし、何を感じてきたのか、著者の視点から学ぶことができます。
➡「自分だったらどう思うか」「似たような体験はないか」と考えてみると、書きやすくなります。
②「当たり前」の違い
- 音声がない生活、手話を使った会話、振動での呼びかけなど、ろう者の家庭には多くの工夫があります。
- それは「不便」ではなく「その人たちにとっての普通」。
➡「自分の普通」と比べてどう感じたかを書くと、感想に深みが出ます。
③ かわいそうではなく「ちがうだけ」
- コーダやろう者の暮らしを「かわいそう」と見るのではなく、「違いがある」だけだと捉える著者の姿勢に注目を。
➡ 「多数派=正解」という考えが、本当に正しいのか?という問いを自分なりに掘り下げてみましょう。
【感想文の書き方のコツ】
ステップ1:自分の「気づき」を大切に
- 読んで驚いたこと、初めて知ったこと、印象に残ったことをメモしましょう。
- 「私はこの言葉に共感しました」ではなく、「この言葉を読んだとき、○○という体験を思い出しました」と自分の経験とつなげると◎。
ステップ2:「自分ごと」として考える
- 「コーダだからこうだった」ではなく、「もし自分がその立場だったら…」「友達だったら…」という視点で書くと自然な流れになります。
ステップ3:最後に少しだけ「これからどうしたいか」
- 本を読んで、今後の自分の考え方や行動にどんな影響がありそうかを書き添えると、感想文としてまとまりやすくなります。
全体を通して、「ちがいを理解することは、人にやさしくなる第一歩」だという気づきをベースに書くと、しっかりとした読書感想文になりますよ。
どう書いていいか迷ったら、最初の一文を「この本を読んで、はじめて『コーダ』という言葉を知りました。」から始めるのもおすすめです。
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