今回は小論文です。登場人物の心情、作者の思いの推測を小論文として書いてあります。
概要
この小論文は、夏目漱石の『こころ』を題材に、作品に込められたメッセージやテーマを深く掘り下げて考察した内容です。
まず、タイトルから作者が人の心情を描く意図を推察していますが、それだけでなく物語の奥にはさらに伝えるべきメッセージがあることを示しています。
小説の構成に沿って、主人公「私」と「先生」の関係、そして「先生」が遺書に込めた自殺の理由について分析しています。
また、乃木大将の殉死や明治から大正への時代の移り変わりが、作品の重要な背景として描かれている点にも触れています。
最後に、『こころ』が単なる恋愛小説ではなく、時代の精神や価値観の変化を反映した深いテーマを持つ作品であり、現代でもその普遍性が評価されていることを説明しています。
小論文の例
こころ 夏目漱石
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書籍のタイトルが『こころ』ということから、作者の夏目漱石が伝えたいことは、人の心情を伝えることであると推察した。
確かに人物の心情が描かれる内容であったが、その奥に更に伝えるべきメッセージが込められていることが分かるのである。
文学系の学生の「私」が尊敬する「先生」に対し先生の心情を考察する前半と、「私」の親が病気に侵され家族と向き合う中盤、そして、先生の遺書であり、今まで打ち明けられなかった先生の秘密が解き明かされる後半の構成になっている。
前半で先生が言っていたことは、「人間は普段は善人でも、金が絡むと急に悪人になる」や「恋は罪悪ですよ、解っていますか」などが後半の遺書でその意味が分かることになる。しかし、よく考えてみるとこれらのことは一般常識であり、具体的な話しを聞くか、悲劇を味合わなければ理解に苦しむ内容であることが分かる。前半での先生は「私」に対して自分の全てをさらけ出すつもりが無いことがうかがえるのである。
それを頷かせる言葉に「最近の若い人にはこういった傾向がある」とよく取り上げられている。これは、現代でもよく耳にする言葉であるが、その実は昔と今では考え方が違うが昔の人の精神を理解して欲しいとう願いが込められていると感じる。その時点で先生は「私」のことを慕ってくれる可愛い若者くらいにしか捉えていないと読み取れる。
ここに疑問が生まれるのである。先生が可愛い若者に遺書を託すことが果たして正解の選択であったのか。普通であれば、親族や友人など今後のことを託せられる頼れる人間を選ぶことが妥当であると考えられるが、そうではなかったのである。何故ならば、先生は身内とも絶縁をし、友人もKしかいなかったからである。百人一首をする際に友人を連れてきて欲しいと言われたが、誘えるほど仲の良い友人がいなかったことが書いてある。このことにより遺書を託す人が「私」に限定されてしまったのが分かる。
先生が遺書を記した内容は自分が自殺をするにあたっての経緯と覚悟が書かれていたが、死後の遺言が書かれていないことに疑問を感じた。聡明である先生ならば妻が困らないように財産の事や今後の生活に対して遺言を書くべきだと感じるからである。十日も掛かって遺書を書くくらいであるから、そのことについて触れてもいいようであるが書かれていない。ましてや、自分が親の死によって親戚から財産を奪われてしまっているのであるからそこは周到にすべきだと感じる。では、何故語り口の「私」に妻を託さなかったのかを考えると、先生の優しさが分かる。まだ就職も決まっていなく、東京に戻るかも分からない若者に対して妻を託すことは難しいと理解しているのでなかろうか。もしかしたら、先生が亡くなった後に妻に接することの嫉妬なのかもしれない。遺言は弁護士や公正役場などで手続きをして法的に妻を守るくらいは聡明な先生であるからやっていたであろう。だからこそ、遺書の内容が自殺の要因となる事柄だけに要約されているのであると推察できる。
では、何故自殺をしなければいけないのだろうかと疑問に感じる。そこは、小説の先生の心情ではなく作者の夏目漱石のメッセージなのではないだろうか。乃木大将の殉死が一つのきっかけとなり、それと前後して「その時私は明治の精神が天皇に始まって天皇に終ったような気がしました。最も強く明治の影響を受けた私どもが、その後に生き残っているのは必竟時勢遅れだという感じが烈しく私の胸を打ちました」や、「私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました」という記述である。封建制度の精神が根強く残っている明治時代と、民主主義の精神が解放される大正デモクラシーの時代の移り変わりへの人々の思想の変わりを憂いているように感じた。「私は今自分で自分の心臓を破って、その血をあなたの顔に浴あびせかけようとしているのです。私の鼓動が停とまった時、あなたの胸に新しい命が宿る事ができるなら満足です」とあるように、血が比喩だとすると「明治の精神」に置き換えることができるのである。
ここで分かるように時代の移り変わりで若者に対して年配者の精神をないがしろにするのでは無く、よく理解し、感じ取って欲しいという願いが込められているのである。それは大正、昭和、平成、令和と時代が移り変わってもその世代世代で同じような希望が込められているから現代においても人気がある作品だと理解できる。単純な三角関係の恋愛の話しではなく時代背景を読み取り「こころ」とは「心」でもあるが「精神」でもあるので平仮名表記が納得できた。
終わりに
初めて読んだ本なので深い考察はないかもしれません。
なので、専門での発表には向かないかもしれませんが、課題提出用程度でしたら問題ないと思います。
この小説を読んで、その状況が映像となって浮かぶような感じになりました。
さすが、天才作家だと思います。心の機微が表現されている気がします。
一回しか読んでないので、何を偉そうにって言われそうで恐縮ですが・・・
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